就活学生の「気持ちわるさ」について

先日、インターンシップの説明会に参加した。
プログラムの一環として、インターン体験者に話をしてもらう。というのがあり、行政、NPO、海外NGOと来て、最後が一般企業の体験者という順番だったのだが、一般企業の参加学生二人に嫌悪感を感じたという話。
「文化に基づく生理的嫌悪感」というのが多分正しいかもしれない。その学生個人ではなく、学生の背景にある文化的なものへの嫌悪。
・彼等の過剰な明るさ
・パワーポイントによる「プレゼン」
・ホントのところを語ります。的な発言、つまり情報は持ってますよという発言及び断定的な口調
「明るさ」はまあ、緊張してたんだろうし、パワポは自分が嫌いなだけなので、三つ目の「しゃべり」を問題にする。
結論からいってしまうと、学校別受験対策を語ってる予備校生そっくりで、嫌悪の原因はこいつらは本当に学校的価値体系に従順で、就職しても社会人「一年生」なんだなと思ったところにある。
学校別受験対策云々ってのは「京大の英作ってさ、東大とかが自由英作文なのに、昔ながらの和文英訳重視でさあ、(中略)まあ、構文覚えときゃ問題ないよ」という感じのあれだ。
英語という言葉にも、英語学という学問にも、試験で自分が試されるという緊張感もない、ただの情報以下のローカル雑学を持っていることを誇らしげに語る気持ち悪さ。*1


そういう勉強が大学の学問といかにかけ離れているかっていうのは大学一年生の前期でわかりそうなものだけど、それをわからず、同じノリで就職活動してしまってる。おまえら四年で何を勉強した?

(http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060414#p1)とかそれに対する反論(http://diary.yuco.net/20060415.html#p01)で語られているように、是非は別として、特にホワイトカラーとして企業が必要としているのは高偏差値の学生だ。
もともと近代的な学校というものが、機械化によって複雑化する労働と、生産規模の拡大により、その管理の必要性の増大に対応するため、身分に関わらず一斉教育するために生まれたものだから、その尻尾である現在の高校でいい成績を収めたものを管理職(ホワイトカラー)として採用したいというのは当然だといえば当然。高校でいい成績を収めた人間がいい大学に入ってくるとは限らないけど。
(高校を太字にしたのは、大学で学んだことよりも、高校での偏差値が問題だから)
このノリ(http://www.geocities.jp/job_ranking/sougou/bunkei.htm)が冗談じゃないわけだ。


と、ここまで書いて
『情報過多が作り出す「Level1飛空艇」症候群』
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0604/17/news012.html
が話題になってるのを発見。

近年の新社会人は、まだ何も経験しないうちから、情報としてはすべてを把握しているつもりになっている傾向がある。

例えばFINAL FANTASYシリーズで、Level 1のキャラにLevel 100のキャラが付いてきても、そりゃ確かに経験値は貰えるかもしれないが、戦闘が一瞬で終わってしまって何が起こったのか理解できまい。きっとあのぐらいのレベルになればわかるのかも、ぐらいのことがボンヤリわかる程度である。

だが今、新しく社会人になるという世代の人は、どうもLevel1の段階からすでに飛空艇に乗っているような気がする。つまりどこにでも行けて、どこにでも降りられる自由を情報として手にしていながら、どこにも降りられない。降りれば自分のレベルでは一撃でヤられることを、知識として知っているからである。

 一度も地上に降りたことはないが、世界を全部知っているというのは、ゲームをクリアしたかのような感覚になりがちだ。だがゲームは自己体感的であるもので、読み物とは違う。

 そして現実社会では働かせなければしょうがないので、無理矢理地上に降ろして戦わせてみると、武器の装備から防具の種類、バトルシステムといった具体的なことは、何一つ知らないことに驚く。

自分みたいな木っ端でもちょっと働けば自分がレベル1であることはすぐわかるし、彼等もすぐわかるだろうから問題ないといえばないと思うのだけど、レベル0が「ベンチャー系はインターンシップに向いてません」「何故なら企業側が慣れてなくてプログラムがしっかりしてないので、ただ無賃労働させられるだけで終わります」なんていってるのはさすがにキモい。そんなもんなくても自分で学習プログラムを考えて、提案できる能力や勇気や面の皮の厚さみたいなのをもってる人間をベンチャーは欲しいんだろ?だって「ベンチャー」なんだから。

学校的価値体系っていうのは飛空挺の窓から得られる知識しか重視しない。そういう中で育ってしまったら、そういう体系で世界を把握してしまっても仕様がない。
「学校化(http://learning.xrea.jp/%B3%D8%B9%BB%B2%BD.html)」って、I.イリイチの概念だけど、それをどうにか批判できるのが大学で身に付ける学問知(それは「Level1飛空艇」記事で小寺氏が指摘している「調べもの」に集約される)なのにそれが身に付いてない。身に付いてたらそんなキモいこといえないハズだ。「すべての科学的定理は仮説でしかない」んだから。

*1:多分、フツーの人がオタクに抱いていた嫌悪感ってこれなんだろうな。これってオタクが割と学校の勉強ができるっていうのと多分関係している。萌え以前のオールドオタクの人が最近のオタクが知識が無くなったって嘆くのと、「アキバ系」がポピュラーに「キモかわいく」なったのも関係しているかもしれない