人間の定義

すっかりなじみ?の動画を並べてみる

初音ミク"packaged"
http://www.youtube.com/watch?v=M8gIMfyV4Mg

Perfume"パーフェクトスタイル(ライブ)"
http://www.youtube.com/watch?v=GJaggOS22Wg

アイマス×Perfume"パーフェクトスタイル"
http://www.youtube.com/watch?v=H7l4-CXmF08

初音ミク みくみくにしてあげる(千早ソロ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1110847

ミクの曲(packaged)の作者が中田ヤスタカ氏の音づくりをまねてるんだろうけど、
それは本題ではなく。

80年代以降の「消費社会」の分析、というより「かけ声」として使われてきた、
「オリジナルとコピーの区別がつかない。」というクリシェが、どのような意味なのか、
感覚的にハッキリしてきたような気がする。

もともとのPerfumeの表現自体、「ひょっとすると生身の人間が歌わなくてもいいんじゃないか?」
という疑念を聞き手に与えることを一つのねらいとしている印象がある。
にもかかわらず、三人が生身の身体を持ち、「ライブ」が成立する。
しかし、たとえ彼女たちが「口パク」であってもその「ライブ」感は減じることがない。

身体無き声と声なき身体の不安定な境界をいったり来たりするのが醍醐味なのかと思う。
「過去(〜70年代)に描かれた未来→レトロフューチャー」という様式だけではPerfumeはとらえられない。
「身近なアイドル」と「偶像としてのアイドル」というアイドル文化における緊張関係を加えても足りない。


そしてニコニコ界隈でスタンダードとして定着した、アイドルマスター映像にPerfumeの歌を乗せたMADビデオ。コンサート画面のもあるし、凝ってPV風にしたのもある。

さらに初音ミク。「声」が人間のもので無くなる。かつてとは比較にならないほど安価かつ簡単に「歌声」が作り出される。本当に「中の人などいない!」のだ(藤田 咲さんは「外の人」である。と思う)

歌番組でトークの方が視聴率稼げるようになってずいぶんたつし、メディアコンテンツとして「生身のアイドルのステージ」の価値がどれだけあるか、疑わしい。もう、歌はミクで身体はアイマスでいいんじゃないか。という人は多分それなりに、いる。この状況は技術的な面では、十分想像がついていたけれども、それが実現してしまった今、文化的な面でも、「ただの目新しいもの」として受け入れられるように変化しつつある。

そして、それはかつて「ヴァーチャルアイドル」と呼ばれた、「虚構性」を売りに仕掛けられたものとは違ってきている。
(その意味で、初音ミクを「ヴァーチャルアイドル」と紹介したTBSの番組は、もしも仮に、丁寧に作られたものだったとしても、退屈なものになっていただろう)

人間の定義、変えなきゃだなあ。


ヴォーカロイド「初音ミク
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp

アイドルマスター
http://www.idolmaster.jp/

Perfume
http://www.amuse.co.jp/perfume/

初音ミク 1st Live 「Packaged」
http://www.youtube.com/watch?v=H1knsjzrigI
GO MY WAY!! 踊る3D初音ミク[FULL版]
http://www.youtube.com/watch?v=-kThtTFimgY