『廃墟の美学』

廃墟の美学 (集英社新書)

廃墟の美学 (集英社新書)

芸術を取り囲む思想をめぐるカタめの著作がたくさんある著者の、新書本。滅びである「廃墟」の中にいかにして「美」が見いだされたかをルネサンス期のフランドル絵画から18世紀古典主義、英国のピクチャレスク(絵のように自然を観る眼差し)ドイツロマン派といった系譜をたどりながら紹介している。

読んで思うことは、この本でも指摘されているが、「廃墟」という発想はつくづく石で建物を造ってきたヨーロッパのものなのだなということ。ローマ時代の廃墟は何よりもそれが背負ってきた歴史により、様々な物語を喚起させる。

一方、日本で流行っている「廃墟」はほとんどが昭和以降の産物で、とりわけ、バブル期に建てられたコンクリート造である。これらは所有者の経済状況が悪化したことにより放置され、「廃墟」になっているのだが、もちろん、そこには「歴史」はない。建物にまつわる「記憶」がある場合もあるが、大抵は単なる忘れられた建物である。そこでは建物個別の記憶は忘却され、ただ普段見なれた建物が崩たまま放置されているという事実だけが残る。

そこを訪れた人は、写真集を見た人は現代文明の儚さを思うかもしれない。20年前のバブル経済を思い出すかもしれない。それは、しかし演出され、意図され、過剰に物語を賦与された結果である。逆に言えばバブル経済を忘却したからこそ、物語を後から賦与して「廃墟」を消費できるともいえる。

もちろんだからといってそれを責めるわけではない。ただ、「滅びた」わけでなく「忘れられた」廃墟こそがこの国には存在している。ということだけはいえると思う。

震災を覚えている人間が誰もいなくなったとき、だれが、あの震災を覚えているのだろう。

※補、バブル時につくられたホテルなどだけじゃなくて、明治以降につくられた鉄道とか、ダムとかの近代化廃墟というのもあります。廃墟に関しては面白い本がたくさんでていますね。