オタクの中心で何かを叫んでみるテスト

なにぶん、はじめたばっかりで他の方の日記について言及するときの仁義がよくわからなかったりするのだけど。

id:otokinoki氏によるオタク雑誌の記事から思ったこと。
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20050119
これは即ち、アニメ、ゲーム、マンガ、etcのうちどのジャンルがオタク(呼称はこれで統一)の中心になるかという問題と、ある文化の発生と発展における雑誌が果たす役割についてという問題の二つにわけられる思う。
とりあえず前者を考えるに、大きいのは95年頃の岡田斗司夫らの活動で「マンガ」や「アニメ」ではなく自称他称「オタク」そのものについての定義云々が、議論の中心にシフトしたということはいえると思う。

それ以前は、たとえば有名な高千穂遙が雑誌に寄せた記事からはじまった「ガンダムはSFじゃない」論争などのように、議論の中心は趣味の対象とする創作物のジャンルや、評価をめぐってされるものであった。
「オタク」(とりあえず呼称はこれで統一です)という言葉がメディアに登場したのは中森明夫の記事だが、これは差別語、更に言うなら、今日的な「オタク文化」愛好者が自分たちのスタンスを他の愛好者と差別するために用いた言葉であるという。

その後、宮崎勤事件によってオタク(「おたく族」ですね)が広く「一般人」にしれわたり、それに伴う差別や迫害に「オタク文化」愛好家が晒されたのだが、それについて「オタク文化」愛好家がとった戦略はいかに自分がネガティブイメージの「オタク」ではないかということを証明するか、「オタク文化」愛好家がメディアのいう「オタク」ではないということをアピールするかということに重きが置かれていたように思う。

そして、「オタク学入門」である。これにより、主に「オタク文化」愛好家のうちに「オタク」という言葉に対するポジティブなイメージの可能性が植え付けられたのだが、それに伴い、「あいつはオタクだ、同士よ!いやオタクじゃない、サブカル気取りのオタクのくせに」といった、侮蔑と賞賛、同調と排除が入りまじった複雑な「オタク」カテゴライズが各個人の主観のもと行われた(大塚英志の「オタク」じゃない「おたく」の議論も岡田が「オタク」を提示することなしには成り立たなかっただろう)

つまり、もとより、オタクの中心雑誌の定義、選定については共通了解など無く「オタク」ジャンルの主導権をめぐる各「オタク文化」愛好家の争いが存在しているのみである。

そして、「オタク総合雑誌」の役割は各時代で支配権を握った「オタク文化」ジャンルの雑誌が担うことになるはずなのだが、個人的にはヤマト、ガンダムの頃の「アウト」だけだったんじゃないかと思う。

「オタク」の困難さは、個人によって定義やイメージが全く異なり、一定の共通了解がないこと、特にそれが排除と同調、双方の使われ方をもつということにある。そのなかで「総合」を唱えることは、ナンセンスだ。

だから、おたくウィークリーの停止もある特定のスタンスのもと、「オタク」を総合することの困難さの現れであると思う。もちろん、そこには2chによるテキストサイト地盤沈下と、ブログによる復権という日本ネット史も絡んでくるとはおもうけど。

現代では膨大な数のブログやニュースサイトの集合体が、おそらくは唯一、それを図らずも体現しているのではないか。「オタク」の分裂を内包した総合化が果たされている唯一の状態。それが現在のweb空間なのかもしれない。


追記・大塚英志が宮崎についていろいろアクションを起こしたのは、氏の編集した雑誌が彼の部屋にあったからだと、何かの本に書いていました。大塚英志は、具体的にやり玉に挙げられている「ロリコンマンガ」という「オタクジャンル」の一つの関係者であったからこそ、アクションを起こす必然性があったのだと思います。
今回の大谷氏の件に関して、雑誌を通してリアクションを起こすとなると必然性があるのは「フィギュア」ジャンルの関係者だけということになると思います。つまりは、あさのまさひこですね。あとは、大谷氏のコラムで書かれていたもので美少女ゲーム雑誌とか。

更に追記。大谷氏が非難する範囲が広がりました。もう「フィギュア萌え族」という言葉はどうでもいいみたいです。