メモその1

完全自殺マニュアル有害図書指定について、webフィルタリングとの(非)関連から

参考ページ
http://hp1.cyberstation.ne.jp/straycat/watch/suicidemanual/1999.htm
・論点その1「文脈の問題」1、本書はそもそも、自殺を促すものなのか、思いとどまらせるものなのか、読者には両方のタイプがいる。*1ぼくたちの「完全自殺マニュアル」
2,『完全自殺マニュアル』はその名が示す様に「マニュアル」、つまり手順を示しているに過ぎない。だからこれ自体は、啓蒙書ということはできない。*2
(てーかそもそも啓蒙ってなによ、「人間が自らの未成年状態から抜け出すこと」で、「自分自身の悟性を使用する勇気を持つ」こと?教育業界議論でいったら「教科書」と「マニュアル」の違いに集約される気もするが)
3,手順書、つまり「情報」に良いも悪いもない。コンスタンティヴではなくパフォーマティヴな意味がその善悪を決定する。
3−1ここでは余談だけど、webフィルタリングは技術的な限界でコンスタンティヴな層に対してしか行うことはできない
4,でも、普通「手引き書」ったら「(その方向に)手を引く」つまり、パフォーマティヴには自殺を「推奨する」文脈でとらえられる。(もちろんこれが規制側の根拠である)
4−1おもしろいのは普通この手の規制は「有害図書から子供を守れ」対「言論・表現(パフォーマンス!)の自由」という対立構造なのだけれども、「子供の知る権利」とか「そもそも『有害』じゃない(自殺の実際を書くことによって自殺を思いとどまらせる)」とかの論点も大きなものとなっている。
5、だから「有害」情報が生成される空間、ニュートラル(?)ある作業の手順に関する情報が「有害」に読解される制度を問題にする必要がある。
5−1自分の頭の性能で、言語行為論を使ってこの問いにアピールできるか疑問。とりあえずオースティンは読んでみる。*3

・論点その1−2 青少年保護育成条例「有害」(東京都では「不健全」)図書はこの条例に従って規制される。
参考http://hp1.cyberstation.ne.jp/straycat/watch/data/jyourei/link.htm
「有害」の定義だが、例えば千葉だと

個別指定とは
図書等の内容が著しく性的感情を刺激したり、粗暴性、残虐性等を有するため、青少年の健全な育成を阻害するおそれのあるものを知事が有害図書等として個別に指定することをいいます。
包括指定とは
知事が個別指定しなくとも、下記に該当するものについては包括的に有害図書等に指定されます。
卑わいな姿態等を被写体とした写真又は描写した絵を掲載したページ(表紙を含む)の数が総ページ数の「5分の1以上」又は「20ページ以上」ある書籍又は雑誌
※ただし、主として好色的でない書籍又は雑誌については、有害とされる部分が20ページ以上ない場合は自動的に有害図書等に指定されることはありません。

卑わいな姿態等を被写体とした写真のほか、卑わいな姿態等を被写体としたカードや散らし等の印刷物
卑わいな姿態等を描写した場面が「連続して3分を超える」又は「合わせて3分を超える」ビデオテープ又はビデオディスク等
※ただし、主として好色的でないビデオテープ、ビデオディスク等については、有害とされる部分が連続して3分を超えなければ有害図書等に指定されることはありません。

こんな感じ。「健全な育成を阻害するおそれのあるもの」ようするに「かもしれない」で指定されちまう。
*4

第7条 優良興行及び優良図書等の推奨

●知事は、青少年の健全な育成に有益な興行や図書等を「優良興行」、「優良図書等」として推奨することができます。

まあ、こういうのにいちいち突っ込みを入れてもきりがない。問題を集約するなら

  1. 「有害」とは何か
  2. その図書等は「有害」なのか

の二点だろうか
前者は各都道府県が明(?)文化しているが、後者、その適用のロジックは闇につつまれている。「卑猥な姿態」が「5分の1以上」とか、意味不明。「有害なものは有害だ。だからこれは有害だ」という論理だ。
図書のコンスタンティヴな層だけが問題にされている。いや、ちがう。あるコンスタンティヴとあるパフォーマティヴの特定の組み合わせだけが採用され、他の可能性が拒否されている。それが「有害」というコンテクストである。
・「卑猥な姿態」も「性教育」というコンテクストでは、別のパフォーマティヴが与えられる。
「卑猥な」というのは「性教育」ではない、「卑猥な」コンテクストにおける、裸
(だからって、医学書はOKなのにエロ本はダメなのか!とか突っ込んでいってもあまりおもしろいことにはならない)とりあえず「性教育」という観点を思い出せた。

・「有害」だからって法で規制していいんだろうか
という問題も大きい。けれどもこれは扱わない。webフィルタリングは法ではなく、親、学校が「自主的に」行うものだから。

・禁止によって何が排除されて、何が守られるのか。
何を隠して何を見せるのか。

性と暴力(をあつかったメディア)
(しかしスルーして子どもに届くのはいくらでもある)
メディアと教育の問題?←当然ある。
そもそもなぜ「見せていいもの」と「だめなもの」というカテゴリが発生するのか
未来が守られる。(「次世代を守る青少年」「子ども」は「未来」につながっている。
青少年「保護」「育成」条例。青少年は「保護」され「育成」されなければならない。
「無垢な子ども」「一人前の子ども」の対立

*1:もっとも自殺してしまった人間の証言はとりようがないが。

*2:鶴見氏や支持者、反対者の言動により、ある意味が与えられたということも考えられるが、規制騒動がなければ、これらの言説は紡がれることはなかった。例えば完全自殺防止マニュアル―心に優しい21世紀冒険読本は岐阜、滋賀で規制された年に出版されている

*3:自分に「コンスタンティヴ」「パフォーマティヴ」の語を教えてくれた東氏のデリダ論は三分の一も理解できなかった。

*4:「包括指定」に関してはさらにおもしろいことが。「有害とされる」って、有害指定する側の文章に出てくる言葉ではないよな。