『ひぐらしのなく頃に解』皆殺し篇

ネタバレ注意!
点数化するなら、前半(綿流し祭りまで)90点、後半0点、平均すると45点といったところ。
べつにミステリとして反則だとか言い出すつもりはありません。反則ではないと思っているからでは無く、僕はそのことを問題に思わないからです。id:Erlkonig氏が御指摘なさってるとおり(http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20060102/1136186235

雛身沢という舞台の抽象的な意味での"システム"を読み取ることこそが竜騎士07さんにとっての"推理"の眼目で、そういう理解の仕方をしたとき『ひぐらしのなく頃に』は非常に優れた本質的なミステリー作品であると言えます。ところが、一般に言うところの"推理"とは、犯人は誰だとかトリックはどうしたとかの具体的な事象を指すものです。

ひぐらし」において推理されるべきなのは、閉鎖空間雛見沢を支えているゲームのルールを把握すること。例えば山口雅也作『生ける屍の死』(ISBN:4488416012)はこのタイプのミステリだったと思います。(出来は比べるまでもなく、こちらが上です。少なくとも解答に理屈で納得できるという点で)犯人もトリックも重要ではなく、犯人を突き動かした「世界観」を解くことが重要であるという点において。
ですから「ひぐらし」ではルールX、Y、Zに至れば「正解」だった。ということになると思います。
もちろんErlkonig氏が御指摘なさっている読者と作者の認識のズレということに対して、竜騎士07氏の戦略のまずさ。ということも語れるでしょうし、『「ルールを推理すること」というルールを推理すること』が極めて不可能に近いということはいえると思います。現に私も普通に犯人当てやっていましたし。ゲームとしてはものすごく理不尽です。
(理不尽さについてはhttp://d.hatena.ne.jp/cogni/20060121/p2参照)
ですが、そのように勘違いしていたからこそ、本当の謎、推理すべきものが、悲劇を起こす「システム」とその回避方法であることが、冒頭、梨花によって示された時や、登場人物がそこにいたり、「システム」と対決するシーン、運命と戦うことを羽入に梨花が宣言するくだり、集会場〜園崎家での圭一たちの活躍、等にカタルシスを感じることができました。

にも関わらず、現れてしまった「黒幕」のあまりの稚拙さに私は落胆しました。人間誰しもがもつ、心の闇、集団心理の怖さと、それを打ち破る力。という作品の物語的テーマ(私が勝手に思っているだけですが)から考えると、あまりにお門違いの敵といえないでしょうか。たとえ1983年が舞台であっても、1989年、1995年を経由し、1999年を無事に過ごして、21世紀を迎えてしまった私たちの状況にふさわしい物語であってほしかった。「システム」にもっとましな姿を与えてほしかった。
「国家の陰謀」いう結論に”カン”でしか至れない構造を非難しているのではありません。「国家の陰謀」というモチーフのあまりの深みの無さを非難しているのです。部活メンバーに与えられる試練として、不適当な気がするのです。
今後、実行犯リーダーがあれほどまでの狂気に駆られる過程が、きちんと語られることを祈ります。そしてそれに振り回された「システム」の狂気、狂気が「システム」となる様も。