『マブラヴオルタネイティヴ』は是非やりたいのだけどグロが本当にダメなので

ネタバレであらすじをチェックして、まりも先生のグロ画をふんじまって、眠れなかったところです。
お預けしたあげく、生ゴミが盛られているというのは、大作とよばれるエロゲでは結構ある話だと思いますが、これほどあからさまなのはすごいです。生ゴミってフグの肝じゃん!って感じです。
といいつつ自分はこの手の生ゴミゲーム、つまり、料理をつくった後、捨ててしまうはずの生ゴミが皿に盛られているようなゲームは好きです。自分が何を喰っているかがよくわかるので。

今回のグロ画、まりもが化け物に顔を囓りとられるアレです。未プレイなので具体的なシチュエーションがわかりませんが、おでこから鼻の下までもってかれたみたいです。脳みそが見えてます。眼球が飛びだしちまってます。アゴは残っています。
これを組み立てても、まりも先生の顔には戻りません。目は登場キャラの中では大人なので、小さい方ですが、飛び出ている眼球の大きさでは足りません。「リアル」な人間サイズです。アゴの骨格も違ってますし、これに肉を盛っても美少女ゲームのキャラクターの顔にはならないでしょう。
解剖学の知識が無いので実際はわかりません。もし元に戻るならすごいですが、どちらにせよ問題は「美少女ゲームで美少女キャラクターを剥いてしまった」ことにあります。彼女たちには我々と同じように脳があり、眼球があることが見せられた。ということです。

『ひぐらしのなく頃に解』皆殺し篇

ネタバレ注意!
点数化するなら、前半(綿流し祭りまで)90点、後半0点、平均すると45点といったところ。
べつにミステリとして反則だとか言い出すつもりはありません。反則ではないと思っているからでは無く、僕はそのことを問題に思わないからです。id:Erlkonig氏が御指摘なさってるとおり(http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20060102/1136186235

雛身沢という舞台の抽象的な意味での"システム"を読み取ることこそが竜騎士07さんにとっての"推理"の眼目で、そういう理解の仕方をしたとき『ひぐらしのなく頃に』は非常に優れた本質的なミステリー作品であると言えます。ところが、一般に言うところの"推理"とは、犯人は誰だとかトリックはどうしたとかの具体的な事象を指すものです。

ひぐらし」において推理されるべきなのは、閉鎖空間雛見沢を支えているゲームのルールを把握すること。例えば山口雅也作『生ける屍の死』(ISBN:4488416012)はこのタイプのミステリだったと思います。(出来は比べるまでもなく、こちらが上です。少なくとも解答に理屈で納得できるという点で)犯人もトリックも重要ではなく、犯人を突き動かした「世界観」を解くことが重要であるという点において。
ですから「ひぐらし」ではルールX、Y、Zに至れば「正解」だった。ということになると思います。
もちろんErlkonig氏が御指摘なさっている読者と作者の認識のズレということに対して、竜騎士07氏の戦略のまずさ。ということも語れるでしょうし、『「ルールを推理すること」というルールを推理すること』が極めて不可能に近いということはいえると思います。現に私も普通に犯人当てやっていましたし。ゲームとしてはものすごく理不尽です。
(理不尽さについてはhttp://d.hatena.ne.jp/cogni/20060121/p2参照)
ですが、そのように勘違いしていたからこそ、本当の謎、推理すべきものが、悲劇を起こす「システム」とその回避方法であることが、冒頭、梨花によって示された時や、登場人物がそこにいたり、「システム」と対決するシーン、運命と戦うことを羽入に梨花が宣言するくだり、集会場〜園崎家での圭一たちの活躍、等にカタルシスを感じることができました。

にも関わらず、現れてしまった「黒幕」のあまりの稚拙さに私は落胆しました。人間誰しもがもつ、心の闇、集団心理の怖さと、それを打ち破る力。という作品の物語的テーマ(私が勝手に思っているだけですが)から考えると、あまりにお門違いの敵といえないでしょうか。たとえ1983年が舞台であっても、1989年、1995年を経由し、1999年を無事に過ごして、21世紀を迎えてしまった私たちの状況にふさわしい物語であってほしかった。「システム」にもっとましな姿を与えてほしかった。
「国家の陰謀」いう結論に”カン”でしか至れない構造を非難しているのではありません。「国家の陰謀」というモチーフのあまりの深みの無さを非難しているのです。部活メンバーに与えられる試練として、不適当な気がするのです。
今後、実行犯リーダーがあれほどまでの狂気に駆られる過程が、きちんと語られることを祈ります。そしてそれに振り回された「システム」の狂気、狂気が「システム」となる様も。

「真実」にどれほどの価値がある?

ここ2年くらいだけど、テレビや、新聞、本なんかのメディアの雰囲気があまりにもぶちゃけ(という言葉がもう、当たり前だ)ているという印象がある。それを感じている人は割といると思う。
人は見かけとか、世の中金とか。優勝劣敗とか。
それは確かに「真実」なのかもしれないけど、そもそも「真実」とは普通言われている、みんなが思っていること、一見そう見えることとは「実は」違うことであって、そういった思いこみの向こうにある、しかけとか出来事のことを指す。
だから「見せかけ」が無いと「真実」も無い。
「ぶっちゃけ」「ホントのところ」が気持ちよく聞こえるのは、タテマエがきちんと機能している証でもある。
ベールの奥の真実に耳を澄まし、目をこらす。ベールがあるからこそ、私たちはそこに意識を集中する。
愚かなのは、王様が裸だと叫んだ、子供。彼は真実などかたっちゃいない。
彼は王様の立派な衣装が見えなかった。それだけだ。

現在「皆殺し」プレイ中なんですけど、ネタバレ

「選択肢」すごいね。
ちょっと興奮しています。ていうか涙でてきた。
このタイミングで「選択肢」が出るなんて。
「解」プレイ前にちょっとネタバレのサイト見てしまって「東京」という名前も知って。「選択肢」がはじめて登場することも知ってしまって、へこんでたんだんだけど、
選択肢がこのタイミングでくるとは思わなかった。
赤い箱、青い箱が伏線になってたんだろうけど
そういう意味で、今、梨花の気持ちにものすごくシンクロしています。
以前書いたひぐらし=ネットゲームという図式をあらためる必要があるかも。

『ひぐらしのなく頃に解』罪滅ぼし篇

この物語が「普通の」怪奇ミステリだと思っていた時期が懐かしい…
「皆殺し」「祭囃子」をやってみないとわからないけど
「ゲーム」としての評価と「物語」としての評価が自分の中で割れそうです。
「ゲーム」としてはフェアじゃ無さすぎるけど「ゲームを描いた物語」としては喝采できるはず。
ひぐらしという物語の根っこの根っこに「ゲーム」というテーマがあるのは、間違いないと思う。
「ヴァーチャル」と関連づけてオートマティックに語られるゲーム像とはちがう、人間の営みとしての「ゲーム」をどこまで描けるか。
(以下ネタバレ?)
梨花(?)が、このゲームをいかに攻略するのか、ゲームマスターは「何」なのか。
というわけで、「皆殺し篇」に突撃〜♪

『ひぐらしのなく頃に解』目明かし編

なんか、気の利いたことを書こうかと思ったけどやめた。
やばいなぁ、沙都子のポイントあっぷだなあ。
全体的な感想としては怖いひぐらしから哀しいひぐらしになってそれなりに感情移入したんだけど、
竜騎士07氏の文体自体にそれほど魅力は感じないってのもあって
最後のぐげげ、とかごぎゃぎゃとかには笑ってしまったよ。
それはさておき文章地味で絵があんなでも、感じるこの魅力は、考察してみる価値が十分にあるよなあ。

・推「勘」について
園崎とかは全然関係ないのはもちろんのこと、ネタバレで見てしまった「東京」
もひょっとしたら大きな黒幕の手下にすぎないとか、
これまでの手がかりと、ちょっとみた「罪滅ぼし」のポエムを考えるに梨花は多分、転生少女だろうけど、
じゃあ、雛見沢をループさせてる黒幕は「何」だろう。

ひぐらし雑感

前編をプレイし終えたのが、去年の一月。
「解」は出るたび買うのだけど、積みゲー状態で今日に至るのですが

後編はいる前に、推理…というほどの理はないので、推測、いや、推勘くらいで。
レナ、魅音梨花、さとこ、圭一殺しの犯人は全編共通で詩音。
富竹殺しは鷹野、(入江診療所に協力者?)
S54〜56の「祟り」は園崎家?(赤坂妻は祟りか?)
ガスが出たのは鬼ヶ淵ではない?

まあ、そんなこんなで。
ていうか、ひぐらしの絵に慣れちまった自分がこわい。
友達とも話してたんだが、樋上→武内→竜騎士と適応できてしまったんだから、
もう、○とか△とかでいいんじゃないかと。

*前言撤回
ひぐらしは「演出勝ち」なところが大いにあるからなあ。
記号という言葉は便利っちゃ便利だけど、それだけで「キャラ」を語れるわけはないし。